M-STyle

ポケモンとマスキングテープ

全国への想い

合唱がやめられないのは、歌うことの楽しさを知っているから。でも、もうひとつ、理由があるのです。それは、全国大会に行きたいという想い。全国の舞台に立ちたいという強い想いからなのです。

私が高校2年の、3月のことです。その日は、ヴォーカルアンサンブルコンテスト全国大会の、1週間ほど前でした。小4から続けてきた合唱、ずっと夢見てた全国大会。その切符を、私はやっと手に入れることができたのです。そしてこの大会は、高3の5月に引退する私にとって、最初で最後の部活での全国大会でした。ただし、全国大会は、期末テストの後。その日はちょうど期末テストの2日目でした。

普段はテスト後学校に残って勉強するのですが、その日はたまたま勉強しようと思っていた生物の教科書を家に忘れたので、帰って家で勉強していました。休みだった父が、リビングでいびきをかいていました。

そのときです。突然の大きな揺れ。棚の上に置いてあった陶器の宝物箱が、落ちて割れました。私はベッドにしがみついたのですが、横から倒れてきたタンスの下敷きにされ、しばらく気を失いました。割れた陶器の宝物箱からは、カラカラに乾いたセミの抜け殻が出てきて、床に打ち付けられて潰れていました。そう、その日は、東日本大震災の起きた日でした。

全国大会は中止になりました。開催地が福島だったからです。もし、全国大会が1週間早かったら、私は今ここにいないかもしれません。でも、ずっと全国大会を夢見て、やっと掴んだ全国大会への切符……それがが無効になったことから立ち直るには、長い時間が必要でした。そのときは、本当に裏切られたと思ったのです。小学生の頃から愛して続けてきた合唱に、裏切られたと思ったのです。全国大会に出られず生きるなら、全国大会に出て死んだ方がいいと、本気で思っていたのです。

私はそのまま部活を引退しました。不完全燃焼でした。合唱なんてもう一生しないと思いました。同期もみんな合唱をやめました。それほど、その出来事は心に傷を残したのです。

月日は流れ、大学2年の春のことです。高校の合唱部から、定期演奏会のお知らせが届きました。私が3年のときの1年生がステージに立つということで、私は定期演奏会に顔を出すことにしました。合唱から離れ、少し落ち着いてきた頃でした。

そして、その後輩たちの演奏に、後輩たちには悪いですが「私の方がうまい」と思ってしまったのです。私はもっと歌える……と。

このことがきっかけで私はまた合唱を始めました。合唱をする人なら誰でも知ってる信長貴富さんがOBにいるインカレサークル「上智大学混声合唱アマデウスコール」に入り、一般の合唱団に入り、企画に参加し、作曲家からアドバイスをもらう経験もしました。兼団に兼団を重ね、たくさんの人と出会い、たくさんの人と歌いました。バックコーラスとしてテレビに出たり、アニメの挿入歌のレコーディングをしたりもしました。そして、多くの人に私の声を認めてもらうことができました。

私は今、高校のときに果たせなかった夢のために、一般の合唱団「VOCE ARMONICA」で歌っています。先日全国大会への切符も手にし、果たせなかった全国の舞台に、ようやく立てるのです。

ちなみに母校である千葉県立千葉女子高等学校合唱部も、高校Bの部で全国大会への出場が決まっています。日程も会場も違いますが、応援しています。幕総に負けるな!!!